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徳川林政史研究所

 徳川林政史研究所は、尾張徳川家第19 代当主の徳川義親によって設立された、公益財団法人徳川黎明会 に所属する研究所である。
 本プロジェクトで調査した史料群を説明する上では、研究所の歴史を踏まえなければ理解しにくいところ もあるので、戦前・戦後の研究所の足跡を記述して、史料群の来歴を説明することで解題に代えたい。
 明治41 年(1908)に尾張徳川家の養嗣子となった徳川義親は、歴史学・植物学の研究を志し、同44 年 (1911)に東京帝国大学文科大学史学科を、大正3 年(1914)には同大学理科大学植物科を卒業し、翌年史 学科の卒業論文であった「木曽山」を刊行した。義親は、その後も旧尾張藩領であった木曽山の研究を続け、 大正12 年(1923)には自邸内に私設の「徳川林政史研究室」を開設した。これが、現在の徳川林政史研究 所の起源である。
 昭和6 年(1931)、義親は公共奉仕のために、尾張徳川家に伝来した什宝・文献史料を、自らが設立した 財団法人尾張徳川黎明会(のちの公益財団法人徳川黎明会)に寄贈し、同会会長となった。翌年には現在の豊 島区目白三丁目に、財団組織の一つとして「蓬左文庫」を開き、文献史料の保存・公開に着手した。財団法 人化によって、徳川林政史研究室も財団の一機関とされ、「蓬左文庫附属歴史研究室」へと名称が変わった。 この頃、愛知県名古屋市には徳川美術館が設立され、昭和10 年(1935)には一般公開が開始されている。
 昭和25 年(1950)、義親は戦後の社会的・経済的混乱のなか、財団を存続させるために「蓬左文庫」の 名称および6 万4,000 冊の典籍・古文書類を名古屋市に譲渡することを決定。このとき移管された史料は、 現在、名古屋市蓬左文庫の所蔵史料となっている。蓬左文庫附属歴史研究室はこれを機に独立し、徳川林政 史研究所と名称を変更して、新たに所蔵史料を活用した林政史・幕政史・藩政史の研究を進めることなった。
 さて、本プロジェクトで調査し、目録にまとめた史料群は、おもに①「旧蓬左文庫所蔵史料・図物」、②「徳川林政史研究所収集史料・絵図」、③「石河家文書」である。  ①は、もともと目白の蓬左文庫に所蔵されていた史料のうち、名古屋市に移管されずに、徳川林政史研究 所が引き継いだ史料群を指す。図物は、蓬左文庫において甲乙に分類されていた史料で、本プロジェクトで は「甲」を中心に調査した。
 ②は、徳川義親が徳川林政史研究室を開設して以来、蓬左文庫附属歴史研究室、徳川林政史研究所へと変 遷する中で収集されていった史料群である。収められた史料は、購入・寄贈などによって集められた原史料と、 採訪の過程で原史料を筆写してつくられた謄写本とに大別できる。絵図は正(林絵図)・続(続林絵図)に分 類されており、林絵図に分類される絵図には、「蓬左文庫」のラベルが貼られている。これは蓬左文庫附属 歴史研究室時代に収集されたことを示しているものと思われる。
 ③は、将軍家から尾張徳川家に附属し、尾張家の「万石以上」の格式を持っていた石河家(1 万石余)に 伝存した古文書である。戦前期に尾張家に寄贈され、名古屋で管理されていたが、昭和10 年(1935)に蓬 左文庫附属歴史研究室に移管された。本史料群は寄贈文書を中核として、昭和42 年(1967)に古書店から 購入した分(木箱一箱)とで構成されている。内容は、幕藩関係・尾張藩政・系譜関係・知行所関係などの 史料が充実しているが、石河家の立場上、江戸城内の絵図や紅葉山の絵図なども含まれている。紅葉山の絵 図は、御三家の予参に関わったものと想定される。
(藤田英昭・徳川林政史研究所研究員)