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国立歴史民俗博物館

 現在の正式名称は、大学共同利用機関法人人間文化研究機構国立歴史民俗博物館で、歴史学・考古学・民俗学の調査研究の発展、資料公開による教育活動の推進を目的とした研究機関である。構想の発端は、昭和28年(1953)の日本民俗学会、(財)日本民族学協会・日本人類学会、日本常民文化研究所による文化財保護委員会への民俗博物館の設置の建議で、昭和41年(1966)に総理府に設置された明治百年記念準備会議 が記念事業の一つとして「歴史民族博物館の建設」が採択、閣議で承認された後、構想の検討を経て、昭和56年(1981)に国立大学共同利用機関として設置された。
 本プロジェクトで調査したのは、国立歴史民俗博物館が所蔵する史料群のうち、棟梁鈴木家資料のうち 28点、200俵の幕臣杉原家伝来の幕府儒学者杉原平助関係資料のうち7点(史料群の総点数は2,290点、天明8年〈1788〉に相続した直林とその子平助の史料が中心)、鍬形蕙斎の江戸一目図から作られたシーボルトの「江戸」掲載図の写しと思われる肉筆絹本の江戸景観図(岩淵「江戸景観図―近代の『江戸』の表象< 歴史画> によせて―」『歴博』171、2012 年参照)、徳川家譜代の重臣で家康の信頼も篤かった「鬼作佐」本多重次の後 裔の上級旗本本多家(3,200石)に伝来した本多家資料(約4,200点)のうち6点、幕末生まれの郷土史家 水木要太郎(奈良女子高等師範学校教授)とその子孫が三代にわたり収集・継承したコレクション史料である 水木家資料(全体で平安時代から近代まで約6,700点。歴博資料目録3『水木家資料目録』2003 年参照)より4点、将軍の参詣や代参といった幕府の儀礼にかかわって作製されたものと推定される増上寺・寛永寺・紅葉山・日枝神社の一括の彩色絵図である徳川将軍家御霊屋絵図4点、伊能三郎右衛門家(伊能忠敬を輩出)の 親戚関係にある下総国佐原の名主家で当主が文人としても知られた伊能家伝来の伊能家資料(全体で約8,000点。歴博資料目録11『伊能茂左衛門家資料』2014年参照)より1点、地理学者秋岡武次郎の古地図コレクショ ンである秋岡武次郎古地図コレクション(神戸市立図書館と分有。歴博分は約1,400 点)より1 点、その他の史料3点である。以下、とくに調査対象の中心となった棟梁鈴木家資料について詳述しておく。
 棟梁鈴木家資料は、現所蔵館の購入史料で、(A)江戸城および幕府関連施設の絵図面約50件、(B)作 事の日記など記録・文書類7件、(C)作図のための道具、からなる。内容から大工の鈴木家に伝来する史料群と推測される。購入時、(A)・(B)は「御用書物」と記された木箱に、また(C)は「安政六未年三月 吉辰」「切絵図」と記された木箱に、それぞれ収められていた。
 東京で開催されていた古書市に出品される以前の伝来経緯は不明であり、史料群のタイトルは、現所蔵館が購入時に「小普請方 屋根棟梁壁方兼 鈴木市兵衛」(「辰之弐番 御用留」H-1586-1-4-4)の記述にもとづいて 付けたものである。その後、さらに検討をすすめた藤田英昭氏が、鈴木家は「辰之壱 御用日記」(H-1586- 1-4-3)の「屋根方 鈴木市兵衛」という記述、および安政五年刊「大成武鑑」の「御屋根方棟梁 鈴木市兵衛」 の記述から、小普請方の配下の御屋根方棟梁であったことを確定した(藤田英昭「江戸城・江戸関係絵図解題 シリーズ3」『東京大学史料編纂所画像史料解析センター通信』第83 号、2018 年)。さらに、氏は、「辰之弐番 御用留」で「瓦師 鈴木」「鈴木方 瓦師」などの記述があることから、瓦師や壁方の職人を管掌していたことを指摘している。
 江戸城や幕府施設の作事は、小普請方と作事方の両者が分掌したが、小普請方の史料はまとまったものがない。このため、(A)では「二丸向惣絵図」(H-1586-1-2-3。前掲藤田氏が紹介)など、小普請方担当分の施設について新出の絵図が多く、建築の計画図にあたるものもあり、稀少な史料群といえる。さらに小粥祐子氏は、明治新政府になって設けられた日本初の西洋的迎賓施設「延遼館」の図面があることから、移行期の 幕府大工のありようを示す資料として注目している。また、図面とともに、(B)の「御用日記」「御用留」 類などの記録・文書類も、御用大工の職務内容の詳細を示すものとして注目される。
(岩淵令治・学習院女子大学教授)